2025年10月6日月曜日

神の人エリシャ

【Ⅱ列王6章8-23】 「神の人」と呼ばれたエリシャは、火の戦車と火の馬によってエリヤが天に上げられる前に、「あなたの霊の二倍の分をください」と願い求めました。その結果、塩による水の清め(Ⅱ列王記2:21)、つぼの油の尽きない奇跡(4章1節以下)、死んだ子どものよみがえり(4:35)、アラムの将軍ナアマンのいやし(5章以下)、水中から斧を浮かばせる奇跡(6:6)、さらに敵国の王の思いを遠隔地から察知する知識の賜物など、多くの力が与えられました。 そのため彼はいのちを狙われ、大軍に包囲される危機に陥りますが、エリシャは天使の大軍が敵を囲んでいるのを見せられました。これは、ヤコブが天へのはしごを見て、天使たちが上り下りしているのを見た光景を思わせます。罪とサタンによって支配され、神の園から追放されたこの世に、神は再び近づかれ、解放の業を現されたのです。 ビリー・グラハムは著書『天使』の中で、「天における戦いは、地上の核戦争をもはるかに凌ぐ、大天使と悪魔との戦いである」と述べています。彼はまた、救いのための集会の最中に、不信の霊サタンと戦う天使たちの助けと、聖霊の働きが現れることを実感すると語っています。伝道集会のために祈りが要請されるのは、救霊という霊的解放のために天が動くことが必要だからです。獄中のペテロに死が迫っていたとき、教会は熱心にとりなしの祈りを続けました。その結果、天使が遣わされ、奇跡的に彼を脱出させました。 フォースクエア教団のジャック・ヘイフォード牧師は、礼拝堂の四隅に賛美の天使ケルビムが立つとき、主の臨在がより明らかにされると語っています。この世界は罪によって闇の霊に支配され、欺き、盗み、殺し、滅ぼす破滅の道をたどるようになりました。しかし子羊が罪を負いのその血が幕屋に注がれることによって、主と天使たちを迎える備えがなされました。御子の贖いの血潮は、私たちの罪を完全に清め、サタンを退け、聖霊のご支配のもとに私たちを解放する力です。 神は、外側から内側へ──天使の仲介からご自身の内住へ、外面的な体から内面的な霊へ、一時的な恵みから永遠の救いへ、間接的な介入から直接的な介入へと、聖所から至聖所へ進ませながら、ご自身のいのちを与えてくださっています。今日エリシャに優る恵が注がれています。ビリー・グラハムは、預言者たちよりも偉大な者とされている神の子であるクリスチャンが「自分は取るに足りない者だ」などと決して言ってはならない」と語りました。 主が私たちの身代わりとなって十字架で呪いを受けてくださったゆえに、私たちはサタンの訴えから解放され、聖霊が内にとどまってくださいます。神の宮とされた私たちのうちから、霊を通して思いへ、そして言葉へと、神のいのちが泉のように川となって流れ出ます。主がおられるところには、何億もの天の軍勢がともにおられます。 私たちはエリヤやエリシャの時代のように、圧倒的な敵の軍勢に取り囲まれているように見えることがあります。しかし、霊の目が開かれるとき、神の霊が私たちのうちで天に上り下りしているのを知るのです。自らの無力さを覚えつつも、御子の十字架と流された贖いの血を仰ぐとき、すべての罪は取り除かれ、私たちを責める闇の霊は退き、聖霊の平安と愛と喜びに満たされます。 みどりのまきばに

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