2025年8月5日火曜日

「文芸評論家・中渋谷教会牧師・二松学舎大学学長」 ―佐古純一郎の祈り― 自叙伝的著作「大いなる邂逅(かいこう)」(国会図書館デジタルコレクション)に主イエス・キリストにめぐりあうまでについて記されています。 「阿波の徳島と言えば、鳴門の渦潮と十郎兵衛の悲劇と、あのにぎやかな盆踊りとを人々は思うのが常である。蜂須賀の城下町徳島からバスで二時間、吉野川の支流に沿って山の中に入ってオロノという小さな村の、真宗寺と呼ぶ小さい西本願寺の末寺で私は生まれた。母の実家である。・・・私を産んでからら母は二カ月と生きていなかった。」 「徳島中学に入学した昭和六年の秋、「先輩の賀川豊彦の『一粒の麦』映画を学校全体で町の映画館で鑑賞したことがあった。その賀川豊彦の信仰の師、ローガン博士はまだ徳島に住んでいてトヨヒコ・カガワについてなつかしそうに私たちに話してくれた。」 朝鮮全裸南道光州東中学校に転校を経て二松学舎専門学校に入学。在学中、亀井勝一郎に師事し近代日本文学評論家への道を決意。日本大学法文学部宗教学科に入学。 44年海軍の招集を受け悲惨な戦場を体験。戦後、日本基督教団中渋谷教会の修養会で、はじめての祈りをささげた。 「天にいます真の神様。あなたを離れて独り苦しみ、あなたにそむいて、罪を犯すことの多かった、この罪深い私を限りない愛の御心から召し給わんとて、かくも良きチャンスをお恵み下さいましたことを心から感謝いたします。 ・・・」 「祈りをささげる私の頬を喜びと感謝の涙がとめどもなく流れるのであった。祈ることが許された、この自分が神に祈ることが出来たのだ、そういう喜びが、私の五体の隅々にまでしみわたるのであった。」 夏目漱石、芥川龍之介、太宰治など日本文学についての約百冊に及ぶ評論は、神との対話から生み出された深い洞察がみられる。三浦綾子作の実話に基づいた「塩狩峠」は「信徒の友」の編集長時代に連載された。 その傍ら宇都宮大学、聖心女子大学、上智大学、日本女子大学でも教鞭をとられた。 67年から中渋谷教会牧師として20年間奉仕され、86年には二松学舎大学長に就任。 NHK「心の時代」で「新約聖書を語る」でお話しされるなど講演活動され、2014年5月、95歳で主の御許に召された。      (文責 南沢満雄)

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